2017年7月26日水曜日

駿台予備学校・加藤氏に聞く 大学で学ぶ意義

 東北大学志望の自分。その頭の中にあるのは決して純粋な学び・研究のためだけではない。地元にある、地元から離れられる、親や学校の期待や薦め、高給職に就く、名誉、模試の判定……。しかし現実にはこれらを自分の真の志望動機だとしても頼りない。そして曖昧な志望動機では受験勉強の安定性は保ちがたい。そこで今回、本学出身で現在、駿台予備学校・現代文講師の加藤平八郎先生に、本学を目指す学生が何を心得て受験に向かうのがよいかを尋ねた。




 「大学は社会との関わりが深いです」と加藤先生。大学のルーツは中世ヨーロッパで教会の付属機関として設立されたところにある。歴史的な経緯を経て、大学は明治維新以降の日本の急速な近代化実現を支えた。当時設立された帝国大学は幕府の機関に連なる教育・研究機関。それが「帝大」として複数設置され、本学を含む7大学が中心になって機能し、近・現代日本の社会基盤は政治と産業と大学という三領域の連関で担われてきた。国内・外にわたる歴史的・社会的に固有な位置付けにある学問機関。「まずはそこを意識して進学の意義を考えると自分自身の客観的な位置付けが可能だ」と語った。

 次に学生にとっての学びの理由を挙げた。一つは生計維持。「食っていく」ために「手に職」をつける。生きるために働き、それ自体が社会貢献であり、生きがいにもなる。そのために学ぶ。

 もう一つは、学び自体の喜び。学びには知の満足がある。人間には物事を不思議に思い探求し解決しようとする知的好奇心が備わっているからだ。面白いから学び、それが後々役に立ったりする。

 この二つはよく見てみると「何かに役立てるために学ぶ」と「面白いから学んでいたことが何かに役立った」が円環のように繋がっていることがわかる。学びの実質はまさにそこにあり、実績ある本学ではその実質が享受可能だ。

 受験が終了した後も人生は続き、学びも続く。大学とは何か、その大学で学ぶとは何かが意識されれば、その後の自分がどのように社会と関わりながら生きていくのかという展望がおのずと現れてくる。その展望こそが一つの志望動機となる。

 何を考えるにしても、受験勉強は科目が多く大変だ。好きな内容ならまだしも、受験以外に役に立たないような知識も理解し覚え、使いこなさなければならない。一方、現代では、学問の細分化・専門化・国際化が極度に進行し、もはやある一分野への専門知だけでは社会において意味をなさない状況にある。この情勢を加味しつつ、加藤先生は「今役に立たないと思っている知識も、いつか人生のどこかで自分自身に備わった知財であると気づく」と、今の受験勉強が決して無意味なことではないと話し、「受験を創造的に通過し、その知的好奇心を原動力に自分自身の『智』の道を独自に切り拓いてほしい」と受験生を激励した。

0 件のコメント:

コメントを投稿